東御廻い

□□□□□□□□□□□□□□□写真で行く沖縄□□□□□□□□□□□□□□□

沖縄の祖先といわれる。"アマミキヨ族"が渡来して住み着いたと伝えられる知念・玉城の霊地を巡拝する

神拝の行事。首里城を中心として、大里・佐敷・知念・玉城の各間切【まぎり】を東四間切【あがりゆまじり】

または、東方【あがりかた】というところから知念・玉城の拝所巡礼を「東御廻い」と称した。
東御廻いの地図 園比屋武御嶽 御殿山 親川 場天御嶽 佐敷グスク テダ御川 斎場御嶽 知念グスク 知念大川 受水・走水 ヤハラヅカサ 浜川御嶽 ミントングスク 玉城グスク
見たい項目からお入り下さい。

園比屋武御嶽 ●園比屋武御嶽【そのひゃんうたき】/那覇市
1972.5.15国指定
王府行事などに密着した御嶽で、
石門は、1519年頃に作られた
国王が城外に出かける時の安全を祈願したり
「東廻い」の一番目の拝所でもあった
御殿山
●御殿山【うどぅんやま】/与那原町
聞得王君【きこえおおきみ】の「御新下り」の際、
この地に仮御殿が造営され
また国王および聞得王君の
久高島参拝の時の発着地でもあった
親川
●親川【えーがー】/与那原町
浜の御殿に天降りした天女の
御子の産井と伝えられる
現在は、公園の中にある
場天御嶽
●場天御嶽【ばてんうたき】/佐敷町
琉球三山統一の覇者尚巴志【しょうはし】
祖父佐銘川大主【さめかわうふぬし】が伊是名島を
逃れて移り住んだところ
現在の場所は移転地で、
元の場所は1959年の大雨の
地滑りで失われた
佐敷グスク ●佐敷グスク【さしきぐすく】/佐敷町
尚思招【しょうししよう】、尚巴志【しょうはし】父子の居城であったが
尚巴志が中山城を攻め滅ぼして移った際に
城郭の石は全部首理城に運んだと伝わる
テダ御川 ●テダ御川【てだうっかー】/知念村
1982.3.31国指定
太陽神が降臨したとされる聖地
国王や聞得大君が久高島参詣のときに
この泉の前で船をとめ航路安全の
オモロを謡った
斎場御嶽 ●斎場御嶽【せーふぁうたき】/知念村
1972.5.15国指定
1955.1.25県指定
沖縄最高の霊地とされ
琉球の創世神アマミキヨがつくった
国始めの七御嶽の一つ
王朝時代琉球の最高神職であった
聞得大君の即位儀礼が行われた聖地
知念グスク ●知念グスク【ちねんぐすく】/知念村
1972.5.15国指定
1962.6.7県指定
自然石を積んだ古城のアーチ門を備えた
石積みの新城の二つの郭からなっている
古城は、天孫氏の時代に
新城は、尚真王の時代に築かれた
知念大川 ●知念大川【ちねんうっかー】/知念村
知念グスクの西側にある泉
後背後にあるウカハルは、
稲の発祥地といわれ
アマミキヨが天から稲を持ち帰り
この地に植えたと伝えられる
稲作の発祥の地として現在でも
沖縄全島からの参拝者が後を断たない
受水・走水
●受水・走水【うきんじゅ・はいんじゅ】/玉城村
1974.4.10村指定
受水・走水、清水の湧き出る
二つの泉で受水に面して
御(三)穂田があり
琉球における稲作発祥の伝説がある
ヤハラヅカサ
●ヤハラヅカサ【ヤハラヅカサ】/玉城村
1995.2.23村指定
琉球人の先祖神アマミキヨが
上陸の第一歩を印した海岸
と伝えられている
いつの頃からか石の塔と
香炉が備えられている
浜川御嶽
●浜川御嶽【はまがーうたき】/玉城村
1972.5.15村指定
浜川御嶽は、アマミキヨが仮住まいを
した地として伝えられる
ヤハラヅカサの近くの岩山の下で
清水の湧き出る泉があり
祠や香炉が設置されている
ミントングスク ●ミントングスク【みんとんぐすく】/玉城町
1977.1.10県指定
ヤハラヅカサに上陸し浜川御嶽に
仮住まいをしていたアマミキヨが丘陵部へ
進出して開いた安住の地と伝えられる
普通にいうグスクより祭祠遺跡
として古代からの聖地
玉城グスク ●玉城グスク【たまぐすくぐすく】/玉城村
1987.8.21国指定
別名「アマツヅグスク」とも呼ばれ
琉球七御嶽の一つ
久高島や本島中南部が
見渡せる高台に立地する
本丸の城門は琉球石灰岩を
くり抜いて造られた

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