恩納村の探訪



モアイ像 ●恩納にモアイ像?
恩納村の58号線を北に進むと
左側に見えてくる「モアイ像」が
山田グスク ●山田グスク【ヤマダぐすく】
山田集落の東側にそびえる
石灰岩の台地に築かれたグスク
護佐丸【ごさまる】ゆかりのグスクでよく
知られています
護佐丸父祖の墓 ●護佐丸父祖の墓【ゴサマル父祖の墓】
山田グスクの下方にある
仲泊遺跡 ●仲泊遺跡【ナカドマリ遺跡】
国指定1975.4.7
今から3500年前に、生活を
営んでいたいた場所である
第一洞、第二貝塚、第三貝塚
第四貝塚、第五貝塚と比屋根坂石畳道
の6つをの遺跡をまとめて、仲泊遺跡
とよんでいる
比屋根坂石畳道 ●比屋根坂石畳道【ヒヤゴンザカ石畳道】
東(98m)と西側(76.50m)の傾斜地にあり
首里王府時代に
北部と中・南部を結ぶ主要道路で
現在残っている真栄田の一里塚と
仲泊の一理塚を結ぶ歴史の道です
丘陵上は、景勝の地でイーユーミーバンタ
(魚群を発見する崖上)もあります
唐人墓碑 ●唐人墓碑【トウジン墓碑】
村指定1991.12.5
1824年中国の商船が難破して
乗務員6名が仲泊まで漂流してきた
しかし5名は死亡、一名が仲泊の人々に
助けられ手厚い看護のもと養生し無事に
帰国できたという
浜に漂着した死亡した5名は
住民により手厚く葬られ
墓前にには、5名の名が刻されている
歴史の道 ●歴史の道
首里王府時代に首里を起点にして
いくつかの主要道が造られた
その中の浦添、宜野湾、読谷山喜名を抜け
恩納を経て国頭地方に向かう道を
国頭方西海道と読んでいる
山田谷川の石矼 ●山田谷川の石矼【山田谷川のいしばし】
山田の谷川にかかる琉球石灰岩の
のづら積みの桁部分に
アーチ型式を施した石矼
フェーレー岩 ●フェーレー岩
真栄田岬から南東をのぞむと
北東にけわしい山道がある
その北端の一段と高くなった山が
多校山で頂上付近にフェーレー岩
と呼ばれるきりたった石灰岩の岩がある
真栄田の一里塚 ●真栄田の一里塚【マエダの一里塚】
村指定1991.12.5
琉球王府時代から明治にかけて
使用された主要道に設置され旅人の
目安とされた
真栄田から一理の距離に仲泊の一理塚がある
万座毛 ●万座毛【マンザモウ】
県指定名勝
万座毛は、恩納村役場の北西に
位置する岬で、切り立ったサンゴ礁の
芝生台地です
1726年に尚敬王【しょうけいおう】が万座毛を訪れ
「万人を座らせるに足る」と誉めた事から
万座毛と名付けられたとされる
真栄田岬 ●真栄田岬【マエダミサキ】
真栄田の西方に位置する
サンゴ礁の台地で隆起して
出来たけわしい海岸です
普段はダイバー達の活動場所
久良波貝塚 ●久良波貝塚【クラハ貝塚】
「旧久良波集落」一帯の遺跡
この遺跡は「沖縄貝塚時代後期」貝塚と
戦前までの「近世」に集落が営まれた
入り江のの砂丘に形成された遺跡である
恩納ナベの歌碑 ●恩納ナベの歌碑【オンナなべの歌碑】
恩納ナベは18世紀のはじめ頃
流歌の歌人として活躍した人である
万国百貨店 ●万国百貨店
軍払い下げや直輸入のもの等
見ているだけで楽しい
最近は行った事無いけど
琉球村 ●琉球村
昔の琉球の村が満喫できる
昔ながらの黒糖作りは懐かしさを
感じさせる

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