浦添市の散策


浦添市は、本島中部にあり、西は東シナ海に面し、北は宜野湾市、南は那覇市、東は西原町に接してます。

人口は、10万人で県内では3番目です。

12世紀頃には、王都は首里ではなく浦添にあり、王宮が浦添城だったと考えられます。

舜天【しゅんてん】王統、英祖【えいそ】 王統、察度【さっと】王統と220年間支配していた伝えられる。

1970年に7月1日に市に昇格し「てだこの都市・浦添」として発展しています。


伊祖城跡 ●伊祖城跡【いそぐすく】
1961.5.15県指定
比較的に小規模のグスクで
現在伊祖神社が建立されている。
後の浦添城王の父であ。
恵祖世【えそよ】の居城だと伝わっている。
伊祖神社 伊祖神社
浦添城跡 ●浦添城跡【うらそえぐすく】
ここ浦添城は、琉球王宮が
首理に移る前に栄えてたと伝わる。
築城年数は、不明ですが
浦添ようどれ ●浦添ようどれ【うらそえ_】
向かって右側(半分しか見えないけど)の墓が
英祖王【えいそおう】が眠っており
左側が尚寧王【しょうねいおう】が眠っている
現在整備の為、近くまで行けない
浦添貝塚 ●浦添貝塚【うらそえかいづか】
1972県指定
国道330号線の伊祖トンネルの上に
石灰岩丘陵の北側崖下にある貝塚で
約4000年前の土器や石の斧などが出土している
浦添御殿墓 ●浦添御殿墓【うらそえうどぅんばか】
沢岻の「うらそえ荘」の南崖下にあり
亀甲墓で、沖縄独特の墓で浦添市では
最大級のものです。
伊波普猷霊園 ●伊波普猷霊園【いはふゆうれいえん】
浦添城の一角にある伊波普猷霊園は
琉球文化にうちこみ、「古琉球」
「おもろさうし」などの文献を
発表し沖縄学のいしずえを築いた
伊祖の高御墓 ●伊祖の高御墓【いそのたかうばか】
1972.2.25国指定
本島の中央を縦断する国道330号線の
伊祖トンネルの上にある墓で
きれいな石積みが見られます
中には、英祖王【えいそおう】の父、恵祖世【えそよ】の遺骨
が納められています
牧港テラブガマ ●牧港テラブガマ【まきみなと_】
保元の乱に敗れ流罪となった為朝が
流れ着き大里の按司【あじ】の妹を嫁にして
後の舜天【しゅんてん】が生まれた
帰国の時に嫁が待ち続けたと伝わる
玉城朝薫の墓 ●玉城朝薫の墓【たまぐすくちょうくん_】
玉城朝薫は、王府の役人として薩摩や
江戸へ行った際にむ、狂言や歌舞伎などの
大和芸能を学び、それを琉球芸能に
取り入れ、「組踊り」を作り出した人物です
経塚の碑 ●経塚の碑【きょうづかのひ】
当山の畳石 ●当山の畳石【とうやまのたたみいし】
浦添市美術館 ●浦添市美術館

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