戦跡廻い

沖縄は第二次世界大戦において、国内唯一住民を巻き込んだ地上戦の場であり

多くの尊い命とかけがえのない文化遺産を失ってしまった

このような悲惨な戦争が二度と起こらないように願います。

平和記念公園 ●平和記念公園【糸満市】
098-997-3011
平和資料館、平和祈念堂など
が配置されていて毎年6月23日
の慰霊の日には「沖縄全戦没
者追悼式」が開催される
沖縄戦没者墓苑 ●沖縄戦没者墓苑【糸満市】
平和祈念公園内各県の慰霊塔
が立ち並ぶ丘の中腹に1979年
に建てられた。
ここには、約18万人が眠る。
海軍司令部豪 ●海軍司令部豪【豊見城】
098-850-4055
この豪は1944年に掘られた防
空壕で当時は、450mあったと
言われ1970年に司令官室を中
心に275m復元された
平和の塔 ●平和の塔【糸満市】
喜屋武岬の近くにある
ひめゆりの塔 ●ひめゆりの塔【糸満市】
「ひめゆり部隊」として献身
的に活動してた県立第一高等
女学校沖縄師範学校女子部の
従軍看護婦と、教職員219柱の
遺骨が祀られている
ひめゆり資料館 ●ひめゆり平和資料館
【糸満市】

098-997-2100
入館料\300

館内では、ひめゆり同窓生が直
接見学者へ語りかけることで沖
縄戦の本質を伝えている
シモン・B・バクナー中将戦死の碑 ●シモン・B・バクナー中将
戦死の碑【糸満市】
沖縄戦略部隊の米軍司令官だっ
たバクナー中将が戦死したのは
1945年6月18日真栄里の高台だ
った
南風原陸軍病院豪跡 ●南風原陸軍病院豪跡
【南風原町】

アブチラガマ(糸数豪) ●アブチラガマ(糸数豪)
【玉城村】

自然豪で沖縄戦では、住民避
難病院等に使用された
軍民同居の形で米軍の砲撃に
あい多数の死者が出た戦跡地
で現在は、平和学習の場とし
て多くの人たちが訪れている
ガラビガマ ●ガラビガマ【具志頭村】
最長500mの自然洞窟で西側の
入り口をヌヌチガマ東の入り口を
ガラビガマと呼ぶ沖縄戦で野戦
病院として使用されていた
白梅看護の塔 ●白梅看護の塔【具志頭村】
ヌヌチガマの入り口にひっそり
と建っている
白梅の豪 ●白梅の豪【東風平町】
白梅学徒隊(県立第二高等女学校)
第二四師団第一野戦病院入隊
昭和20年3月6日衛生教育を受
け配属され昭和20年6月3日で
閉鎖になった
白梅の塔 ●白梅の塔【糸満市】
この豪の中からは、生徒達の
遺骨が折り重なるようにして
見つかった
白梅隊の戦死者は20名、塔に
は病院関係者を含め127柱が
祀られている
一中健二の塔 ●一中健二の塔【那覇市】
沖縄戦で鉄血勤皇隊として戦
った県立一中(現在の首理高
校)の生徒職員287人を祀っ
た慰霊碑。
健二の塔 ●健二の塔【糸満市】
麻文仁ヶ丘の崖下、豪の前に
慰霊塔と3人の青年像が立って
いる。
ここには、沖縄師範学校の職員
と生徒で結成された鉄血謹皇隊
が祀られている。
魂魄の塔 ●魂魄の塔【糸満市】
終戦直後ここにアメリカ軍が収
容所を設置したそこにはおびた
だしい数の無名戦没者の遺骨が
散在していた
旧陸軍・第24師団・第二野戦病院壕 ●旧陸軍・第24師団・
第二野戦病院壕【豊見城市】
昭和58年7月復元
ここの病院壕では沖縄戦中最激
戦地と伝わる首里・浦添・西原
那覇一帯から負傷兵が運び込ま
れてきました
32司令部豪 ●32司令部豪【那覇市】
轟の豪 ●轟の豪【糸満市】

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