見に行こう!!
旧海軍司令部壕 ●旧海軍司令部壕/豊見城村
豊見城村字豊見城
8:30〜17:30
098-850-4055
料金420円
瀬長島 ●瀬長島【せながじま】/豊見城村
本島より海中道路で結ばれた、周囲1.5Kmの小島。
那覇空港の飛行機の離発着が間近で見られる。
サンセットも美しく、ドライブコースとして親しまれる。
山巓毛 ●山巓毛【さんてぃんもう】/糸満市
糸満ローターリーの左手の小高い丘にある。
南山王の他魯海【たるみぃ】
尚巴志王【しょうはしおう】
滅ぼされて、自刀して果てた場所。
「糸満ハーレー」の時にここでスタートの
合図の旗が振り下ろされる。
白銀堂 ●白銀堂【はくぎんどう】/糸満市
糸満市の氏神で人々が豊漁と航海の
安全を祈る場所である。
旧暦の5月4日の糸満ハーレーの
奉行は、この神社で行われる。
幸地腹門中墓 ●幸地腹門中墓
【こうちばらもんちゅうはか】/糸満市

破風型といわれる程の大きなお墓。
門中【むんちゅう】とは
墓を共有する父系血縁の一族のこと
300年ほど前に造られ、今では2,500人以上の
遺骨が納められている。
白梅の塔 ●白梅の塔【糸満市】
この豪の中からは、生徒達の遺骨が
折り重なるようにして見つかった
白梅隊の戦死者は20名、
塔には病院関係者を含め
127柱が祀られている
具志川城跡 ●具志川城跡【ぐしかわぐすく】/糸満市
真達勃按司【またふつあじ】の居城といわれている。
潮吹き穴と呼ばれる自然洞があり
風の強い日には、海水を吹き上げる。
喜屋武岬 ●喜屋武岬【きゃんみさき】/糸満市
本島最南端の岬。
断崖の上に灯台もある。
沖縄戦で追い詰められた住民が
次々と身を投じた場所。
ひめゆりパーク ●ひめゆりパーク/糸満市
098-997-3111
8:30〜18:00
料金850円
琉球石灰岩の城壁にかこまれた、サボテン公園。
高さ10mにもなるジャンボサボテンがそびえる
450種類以上の多肉植物が植栽されている。
サボテンアイスも食べられるよ。
ガラビ豪 ●ガラビ豪/具志頭村
最長500mの自然洞窟で
西側の入り口をヌヌチガマ
東の入り口をガラビガマと呼ぶ
沖縄戦で野戦病院として使用されていた
具志頭城跡
●具志頭城跡【ぐしちゃんぐすく】/具志頭村
代々の具志頭按司【ぐしちゃんあじ】の居城跡。
沖縄のグスクの中でも比較的大きく
野積みの城壁が残っている。
海岸にもおりられる。
玉泉洞王国村
●玉泉洞王国村【ぎょくせんどう】/玉城村
098-949-7421
9:00〜17:30
料金600円〜
鍾乳洞、自然公園などがある多目的公園
30〜40万年前の鍾乳洞は、その内の800mが
観光洞として、一般公開されている。
動物愛護?の問題から、コブラとマングースの
決闘は、やっていないとか
知念城跡 ●知念城跡【ちねんぐすく】/知念村
自然石を低く積んだ石垣で囲まれた古城と、
その下の切り石積みになった新城の両方からなり
東の正門と北の裏門は、見事なアーチ門。
斎場御嶽 ●斎場御嶽【せぇふぁーうたき】/知念村
1972.5.15国指定
アマミキヨ【琉球人の祖先】がつくった
国始めの七御嶽の一つといわれる
琉球最高の聖域。
王朝時代、久高島を遥拝する聖地
又、聞得大君【きこえおおきみ】の即位儀式に
欠かせない崇敬の地でもあった。
佐敷ようどれ ●佐敷ようどれ【さしきようどれ】/佐敷町
1958.1.17県
第一尚氏の祖
尚思招【しょうししょう】とその家族を祀った墓
全体が石造りで屋根が半円形カゴ型に
近い独特の形をしている
現在は自衛隊基地内にある
佐敷城跡 ●佐敷城跡【さしきぐすく】/佐敷町
尚思招【しょうしょう】
尚巴志【しょうはし】父子の居城であったが
尚巴志が中山城を攻め滅ぼして移った際に
城郭の石は全部首理城に運んだと伝わる
東風平町富森の石彫大獅子 ●富森の石彫大獅子
【ともりのいしぼりうふじし】/東風平町

1974.12.2県指定
高さ141.2cm全長175.8cmの
威風堂々としている石造りの獅子
沖縄の中でも最古・最大のもので
火返しの獅子として八江瀬岳に
向かって建てられている。
八重瀬城跡 ●八重瀬城跡【やえせぐすく】/東風平町
三山時代に南山の勢力と争った
八江瀬按司【やえせあじ】の居城
今は、整備され公園となっている。
八江瀬岳は、かつて火山【ひーざん】
として恐れられていた。
大城城跡 ●大城城跡【おおしろぐすく】/大里村
方言名で「ウフグスク」といい、
大城按司眞武【うふぐすくあじしんぷ】
によって築かれたといわれる
大里按司との戦いに敗れ城も
廃墟と化した。
大城按司の墓 ●大城按司の墓
【おおぐすくあじの墓】/大里村

1961.5.15県指定
通称「ボウントゥ墓」と呼ばれる。
稲福の崖下にあった
大城按司【うふぐすくあじ】の亡骸は、
臣下によって葬られた
1892年に現在の地に移された。
大里城跡 ●大里グスク【おおざとぐすく】/大里村
14〜16世紀ごろ東島尻を領有する
島添大里按司【しましーうふさとあじ】
が築城し君臨した。
北側、西側は絶壁に守られ
攻めにくい造りになっている
広さは、2万uを超える
麻文仁家の墓 ●麻文仁家の墓【まぶに家の墓】/南風原町
1970.7.14県指定
尚弘穀(大里朝亮1647-86)の墓で
弘穀は、11年間摂政を勤め善政をしき
国家につくした功績により
この墓を拝領したと伝えられる。

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